蕪村

殿原の 名古屋顔なる 鵜川かな      
                  蕪村

(とのばらの なごやがおなる うかわかな)

意味・・長良川の鵜飼見物の面々は、見るからに尾張藩士の
    名古屋顔といった顔付きで、大らかで鷹揚(おうよう)
    な態度をしている。

    岐阜県長良川の鵜飼は尾張藩の管轄であった。

 注・・殿原=身分の高い男の方々。 
    名古屋顔=名古屋者らしい顔つき。「名古屋」に「な
     ごやか」を掛ける。 
    鵜川=鵜飼をしている川、鵜飼見物の出来る川。
    鵜飼=飼いならした鵜を使って鮎などの魚をとる漁法。
     鵜匠が鵜舟に乗り、篝火(かがりび)をたき、鵜を操
     (あやつ)ってとる。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。池大雅ととも
    に南宗画の大家。

出典・・蕪村句集。

俊恵法師


ながむべき 残りの春を かぞふれば 花とともにも
散る涙かな
                  俊恵法師

(ながむべき のこりのはるを かぞうれば はなと
 ともにも ちるなみだかな)

意味・・桜の花をしみじみと眺めることの出来る余生
    の春を数えると、散る花とともに落ち散る涙
    である。

    花のこの美しい風景が眺められるのは今だけ
    であり、季節や天候、時間によってその風情
    は刻々と変貌している。風景だけではなく、
    自分の容姿や気持ちも変わって行くので、再
    びこの場所に来て同じ風情は見られないだろ
    う。残りの春が少なくなった現在、この美し
    い風景をたんのうしてゆくが、もう見られな
    いと思うと哀しくなってくる。そして今を大
    切にと思うのである。

花を眺める事の出来る、自分に残された春
    を数えると、花は身に沁みて哀れに感じら
    れ、落花とともに、こぼれる涙である。

 注・・ながむべき=桜の花をしみじみと眺める事
     の出来る。
    残りの春=余生。

作者・・俊恵法師=しゅんえほうし。生没年未詳。
    表記の歌は1278年詠んだ歌。65歳くらい。
    東大寺の僧。

出典・・新古今・142。

和泉式部

夕暮れは ものぞかなしき 鐘の音を あすもきくべき
身とし知らねば           
                  和泉式部

(ゆうぐれは ものぞかなしき かねのおと あすも
 きくべき みとしらねば)

意味・・夕暮れはなんと悲しいことだ。入相の鐘を
    明日も聞くことの出来る身だとは分からな
    いので。

    入相の鐘の音を聞いて詠んだ歌です。
    
    病気や事故、会社の倒産などで明日も今日
    と同じように鐘の音が聞けるとは限らない、
    という気持を詠んでいます。
    入相の鐘が明日も同じように聞けるとは限
    らないと思うと、この日この日を大切にし
    て生きて行かねば、という気持です。

    西行も同じような歌を詠んでいます。

   「待たれつる入相の鐘の音すなり明日もや
    あらば聞かんとすらむ」 (山家集)

   (今日聞くのが最後かと待たれた入相の鐘が
    聞こえて来る。もし明日も命があったなら
    再び同じ気持で聞くことであろう)
    
 注・・入相(いりあい)の鐘=夕暮れ時に鳴る鐘の
     音。人生の黄昏(たそがれ)を思わせる寂
     しさが伴います。

作者・・和泉式部=いずみしきぶ。生没年未詳。10
    09年中宮彰子に仕えた。

出典・・詞花和歌集・357。

凡河内躬恒



水の面に 生ふる五月の 浮き草の 憂きことあれや
ねを絶えて来ぬ 
                 凡河内躬恒

(みずのおもに おうるさつきの うきぐさの うきこと
 あれや ねをたえてこぬ)

意味・・水面に生えている五月の浮草の「うき」では
    ないが、あなたは「憂き」事があるのか。
    根なしの浮草のごとくとんと音信も絶え訪れ
    もないことです。

    詞書は長い間訪ねて来なかった友達のもとに
    詠んで贈った歌、です。

 注・・憂き=いやなこと、不満(作者に対して)なこと。
    ねを絶えて=音信が絶えて、「ね」は根と音の
     掛詞。

作者・・凡河内躬恒=おうしこうちのみつね。生没年未詳。
    894頃活躍した人。古今和歌集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・976。

西行

何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに
涙こぼるる
                  西行

(なにごとの おわしますかは しらねども かたじけ
 なさに なみだこぼるる)

意味・・どなた様がいらっしるのかよくは分りませんが、
    自分が今日こうして生きていける事が恐れ多く
    て、ただにただに涙が出て止まりません。

    天地自然、万物に神々が宿るという素朴な心を
    詠んでいます。
    日本は温暖な気候に恵まれて自然は豊かです。
    そこに生きる日本人は自然の恵みをいっぱい
    貰って生活をしています。
    時には恐ろしい災害もありますが、その時は
    恐れ慎み、しばらく我慢しておればやがて収
    まります。
    自然は恐ろしい反面、沢山の恵みを与えてく
    れるありがたい存在です。
    自然界の一つ一つの働きに人の及ばない何か
    大きな働きを感じ「ありがたい」「恐れ多い」
    と詠んだ歌です。
    自然界があっての人間です。自然を破壊する
    のでなく、大切にしたいものです。

 注・・何事=どのような事、どんな事柄。
    かたじけなさ=分に過ぎた恩恵・好意・親切
     を受けたありがたさ。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。

出典・・宇野精一「平成新選百人一首」。

服部嵐雪 

文もなく口上もなし粽五把  
                服部嵐雪 

(ふみもなく こうじょうもなし ちまきごわ)

意味・・端午の節句に知人から粽を五把届けられて来
    た。使いの者は手紙も持たず、挨拶の言葉も
    なく、ただだまってそれを置いて帰った。

    嵐雪がこの句を読む半世紀ほど昔、貞徳が歌
    人の木下長嘯子(ちょうしょうし)に五把の粽
    を贈った。その時に添えたのが次の歌です。

ちかきやま まがわぬすまい ききながら こととひはせず
はるはすぐせる    
                    貞徳

(近くの山にわび住まいしておられると聞いていましたが、
 訪ねもせず今年の春も暮れようとしています。)

 この歌は折句になっていて、各句の頭と句尾を拾ってゆく
 と、「ちまきこは(粽五把)」「まいらする」になります。

 長嘯子のお礼の歌です。

ちよふとも まだなおあかで きくべきは このおとづれや
はつほととぎす       
                    木下長嘯子

(千年たっても飽くこともなく聞きたいのは、ほとどぎすの
 初音、つまり、あなたからの便りです)

 この歌も「ちまきこは」と「もてはやす」の折句になって
 います。

    嵐雪の句はこんな気の利いた歌を添えるでもなく、
    粽だけ置いていったというものです。

 注・・口上=口でのべること。
    粽(ちまき)=端午の節句(5月5日)に食べる
      餅の一つ。葛粉などで作った餅を笹など
      で巻いて蒸したもの。
    五把=粽を五個束ねたものが一把、戦前まで
      は10個束ねたものが一把であった。
      粽五把は50個。
    まぐわぬ=美しくない。うるわしくない。
    ちよふ=千代経。千年の時が経つ。

作者・・服部嵐雪=はっとりらんせつ。1654~1707。
    芭蕉に師事。

出典・・小学館「近世俳句俳文集」。

善滋為政

年ふれば あれのみまさる 宿の内に 心ながくも
すめる月かな       
                  善滋為政

(としふれば あれのみまさる やどのうちに こころ
 ながくも すめるつきかな)

意味・・年月を重ねたので、荒れることばかりがひどく
    なってしまっている家の中に、気長くも差し込
    んで、よく澄んで住みいる月だなあ。

    戦乱や病気などで大黒柱を失った屋敷は修理が
    ままならず、荒れ放題になってしまった。その
    結果月が差し込むような状態になり、さびれた
    家を悲しんで詠んでいます。
    
 注・・年ふれば=年月がたったので。
    宿=住居、家屋。宿の内は家の中。
    心ながく=気が長い。長く気持ちが変わらない。
    すめる=「澄める」と「住める」の掛詞。

作者・・善滋為政=よししげのためまさ。生没年未詳。
    従四位上・文章博士。

出典・・後拾遺和歌集・833